独習の盲点2 

3:守破離(しゅ、は、り)の修行プロセス

ある程度の経験というのは、ものごとの習得には、守、破、離、というステップ段階があります。

*昔の「守(しゅ)」の段階:

この段階は、師匠の言われた通り、何も疑わずに実践する初心の段階です。
昔で言えば、「落語を学びたいんですけど?弟子にして下さい!」「よし、わかった!まず便所掃除からだ!」というような世界です。

このことによって、その弟子の素直さ、忠誠心、実直さ、忍耐力、行動力、実践力、などなどを見ます。

自分が長年培って来た技術や芸を簡単に、よくわからない若者に伝授していいのか?、という事を見るわけです。

料理の世界で言えば、その店の「味付け」でもあるわけです。
簡単に教えて、1週間後に、隣に店を出されては大変です。
昔は、そういう人たちがたくさんいたので、これを防ぐための防御システムだったのでしょう。

「よし、まず皿洗いからだ!」「よし、次は、ジャガイモの皮むきだ!」という修行です。

そうした事で、その仕事ぶりを見るわけです。
この段階で、「あれ?思った修行と違うな?」と思った若者は、すぐに辞めて行くでしょうから、手間が省けます。

これが武術の世界で言えば、その人で、「殺人技」を教えてしまうわけですから、その人の人間性を見なくてはいけないのは当然のことでしょう。

小説、芝居、映画などの世界では、よく師匠に反逆し、騙し打ちする悪者の兄弟子、そして師匠の仇討をする善良な弟弟子の話しは定番です。

それほど大事な時期です。

今の「守(しゅ)」の段階:

こうした昔の職人の「人を見る」という段階とは別に、すぐに、その技術を指導するスポーツや楽器修行で言えば、まず“正しいフォーム作り”になります。

音楽に限れば、この最初の段階で、すべてが決まるほどです。

まず、リズムの取り方をどう捉えるか、です、。

音楽の世界は、「まずリズムありき」で、すべてが始まります。

メトロノームに合わせるか、実際のレコードやCDに合わせるか、、、。

リズムに関しては、機会があれば、自著「日本人のためのリズム感トレーニング理論」(リットーミュージック社刊)を読んで見て下さい。

最初に、何を“基礎”として求めるかは、師匠次第です。

様々な“先生”に出会い、その比較をすることで、色々な経験をすることで、その違いがわかるわけでです。

これは、ある原因不明な病気に掛かり、様々な医師に出会うのに似ています。

初めての診察で、治療して完治させる医師に出会うことは、大変ラッキーな名医との出会いですが、実際は、何年、何十年掛かってもなかなか完治できないことばかりです。

武術の世界では、「3年独習するより、3年掛けて、良い師匠を見つけなさい!」ということわざもあるくらいです。

*インターネットによる「守」の学び:
近年は、インターネット社会という事で、師匠に就いて学ぶ手間をインターネットが省いている、といいます。

果たして、そうでしょうか?

「ぶっこみジャパニーズ」というテレビ番組があります。

 

海外の人が日本の様々な文化的な産物である、蕎麦、寿司、舞踊、演歌などをYouTubeを見て学び、それを商売としている現場に、日本のプロの職人や歌手が乗り込んで、これを“成敗”?する、という番組です。

インターネット以前(1998~2000年以前?)の社会なら、その国へ渡り、直接、師匠の下で何年も修行を積んで、様々な職人の技術や芸を学んだりしなくては、物事は学べませんでしたが、

こうしたインターネット独習は、世界中で起きています。YouTubeは、見よう見まねで学ぶには便利な手段です。

しかし、正しい基礎力があれば、便利なのですが、初心の段階で見よう見まねで学ぶと、後々、致命的な癖まで身に付けてしまいます。

世界のピアニストを見たことがない戦前の多くの日本のピアノ教育がこれで、世界に通用するピアニストが誕生するまでには、戦後に入っても多くの時間を要しました。

日本で、“天才ピアニスト”と絶賛された少女が、後年、米国にピアノ留学した際、一から学び直させられたエピソードは有名です。

当時、日本では、高く上げた指先で力強く鍵盤の一つ一つを打鍵するトレーニングが主流でしたが、米国では、指を高く上げる癖を無くすために、ゆっくりとしたテンポで、音階練習を何か月もさせられた、といいます。

*これは、クラシックピアニストの故・中村紘子さんのエピソードです。

 

この指の動きは、ギター演奏でも同様です。
鍵盤や弦から指先をあまり離れないように弾くことが合理的奏法になります。

今の人で、もしも、指先を高く上げる人がいたら、「ああ、この人は独習だな、、先生から注意されたことがないんだな、、、、」ということがすぐにわかります。

何事も基礎が大事です。

楽器修行もスポーツでもスランプ、伸び悩みに陥ると、すぐに基礎練習に立ち返るのが、最善の脱出方法です。

“砂上(さじょう)の楼閣(ろうかく)”という言葉があります。

砂の上に何階もある建物を建てても、すぐに崩れてしまうので、これ以上は、伸びない、という譬えです。

「守」の段階は、高層ビルを建てる前に地面を掘り杭を打つ基礎の土木工事、と言えます。

今後、より高く伸びるために、より深く基礎を固めるわけです。

*「破(は)」の段階:

「破」は、「守」で学んだ基礎の応用の段階です。

数学の世界で言えば、「守」で学んだ公式を利用して、何か、日常的な問題を解いたり、より高度な問題を解いたりするわけです。

「今、時速60キロだから、35分前に50キロで出た車には、**分で追い着くな!」と言った、日常の問題の「応用」です。(算数の得意な人に答えは聞いて下さい!)

これは“出会い算”と“追いつき算”に分けられる「旅人算」の中の“追いつき算”と呼ばれる計算だそうです。

 

 

こうした問題は、基礎が無ければ、とてもとてもできないものです。

しかし、これは、「知識」の応用。

「知識」の応用は、インターネットでも可能かもしれませんが、「技術」の応用は、そうは行きません。

これは、「水泳」の練習プロセスと同じです。

まず、水に顔を付けることができてから、潜る、ということが可能になり、そこから、少しずつ「泳ぐ」まで持って行くわけです。

そうしたプロセスを経て、「自由形(クロール)」「バタフライ」「平泳ぎ」「背泳」と“応用”して行くわけです。

特に、バタフライは、平泳ぎの「応用」から生まれた泳法ですから、その典型です。元は、同じ「平泳ぎ」でした。腕の動きが逆であることから、協議を重ね、分けられたといいます。

 

楽器修行で言えば、身に付けたフォームを利用して、様々な曲を弾いたりすることです。

ジャズ演奏の場合は、譜面を忠実に弾くだけではなく、“即興演奏”が主流ですから、咄嗟な動きに正しいフォームで対応するようになるために練習するようなものです。

これは、スポーツも同じです。正しいフォームを守りながら、試合をするような世界です。

料理でいえば、実際のレシピを利用して料理を作る世界です。
出汁の取り方や、包丁の使い方は「守」の段階です。

*「守」を飛ばして、いきなり「破」に飛び込む人:

一般に、独習の人は、「守」の段階がなく、いきなり、この「破」の段階に入ることになります。

草野球、草サッカー?で、言えば、基本的な練習はさておき、いきなり試合ばかりするようなものです。

温泉卓球?も同様です。

もちろん、楽しさだけを追求したいなら、これで十分でしょう。

しかし、音楽の場合、下手の横好きの人の歌や演奏は、ちょっと周りを困らせるばかりですから、自分だけは愉しい、というわけにも行きません。

こういう人は多いです。

クラシックギターの名曲に「禁じられた遊び」という曲があります。

この曲を独習で弾く人は多いのですが、ハラハラせずに弾ける人はなかなかいません。

とにかく、終るのを待って、褒めるしかありません。

 

「芸人殺すに刃物はいらず、お上手、お上手、三回言えばいい」ということで、芸は成長しませんが、だからと言って、「守」の段階を経ない趣味の人たちに対して、厳しい批評をするのも、ちょっと“無粋”な感じですし、、、。

正しい評価を受けたかったら、すべて有料にしてみればいいわけですが、それでも、友人知人からの呼び掛け、となると毎回避けられないものです。

もちろん、大半は、お酒目当てに行くとは思いますが、、、。
お酒もなく、ひたすらステージを見るだけ、となると、ちょっと、、、。

*「離(り)」の段階:

この段階は、武術でいえば「免許皆伝」の段階です。

独立して、新たな流派を作る段階です。

前述の平泳ぎから独立して「バタフライ」という種目を作ったのも「離」の段階と言えます。

平泳ぎの中でのバタフライは、平泳ぎの「応用」ですが、独立した種目となると「離」の段階に入った事になります。新たな種目の創造です。

ジャズの世界では、ウエス・モンゴメリーが好きでコピーしまくった!というのに、オクターブ奏法をほとんどやらない、パット・メセニーのような感じでしょうか。

ウエス・モンゴメリーを聴いて、あらたなスタイルを築いたのが、パット・メセニーと言いたいのですが、、、。

実際は、ジョン・アバークロンビーにパットは良く似ています。

ウエスは、パットより31歳年長、ジョンは、パットより10歳年長です。

「守」の段階で、ウエス・モンゴメリーを真似て、現在のパット・メセニーのスタイルを築いたなら、いきなり「離」の段階ですが、ジョンと比較すると、パットは、ジョンの応用ということで、「破」の段階かな、といえます。

音色も良く似ているスタイルです。

天才?パット・メセニーが35歳で、ようやく?出した、唯一の?ギタートリオによるジャズ・スタンダード・アルバム「Question and Answer(1989年録音)(Geffen) 1990年」と、その11年も前に出た、ジョン・アバークロンビーが、同じく35歳に出した「Direct Flight(1979)」を聴き比べてみましょう。

 

 

 

*Pat Metheny & Dave Holland - Question and Answer(1990)

Pat Metheny - guitar Dave Holland - bass Roy Haynes - drums

 

以下は、3人のプロフィールです。

*パット・メセニー:Pat Metheny、1954年8月12日 -

 

*ジョン・アバークロンビー:John Abercrombie、1944年12月16日 - 2017年8月22日

*ウェス・モンゴメリー:Wes Montgomery、1923年3月6日 - 1968年6月15日

 

尚、このパットとジョンの関係の具体的な指摘は、私の2017年4月9日のFacebook上での指摘が最初です。

それまでは、パットがデビューから主張し続けていた「ウエス・モンゴメリー」です。これが通説になっていました。

私自身は、パットよりもジョンの方を早くから知って聴いていましたし、1979年は、21歳になる年でしたからジョンの「ダイレクト・フライト」ばかりを聴いていた頃です。

友寄隆哉:2017日4月14日ブログ:パット・メセニーの本当の師匠は?:

 

 

1:師匠の存在:

独習の盲点、というテーマですが、根本的な問題ですが、世の中には、ちゃんと物事を学びたい、という人と、何でもテキト~でいいんじゃないの?という人がいます。

これはもう、生まれ付きのものだと思います。

テキトーに物事を学んでも、ちゃんとプロとして生きてはいけます。

もちろん、それなりに、です。

そもそも、世の中の人は、普通、直接に面と向かわれて、「あなたは下手だ!」と批評されることはありませんから、何でも、テキトーにはできます。

それは、テキト~にできる場所でしか披露しないからです。

夫婦でさえも、「これ、不味いなあ~!」といは言えませんが、これが商売となり、この料理をお金を取って食べさせるとなると、話は変わって来ます。

ちゃんと、その料理は、「美味しいのか、不味いのか」はっきりしなくてはいけません。

それは、誰が言う役目なのか?、ということになります。

その点からも、師匠やコーチがいることは、より高い“芸”のパフォーマンスを見せるための修行と言えます。

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