リスナー道 その2 リスナー修行

私のリスナ修行


*感覚を磨く「餌付(えづ)け」と「仕込(しこ)み」


*「餌付け」:感覚を広げる 

 

「音楽を聴く」と言う事は、実は大変むつかしい。

 

昔、25歳くらいの頃テレビで見た。


立花隆氏が「脳死」の研究をした時、わかった事がある、という。


音楽は、様々な周波数を含んでいて、その周波数が対応している脳の部分は一定に決まっているのだという。


ある曲が流れる。


するとその音楽に含まれた様々な周波数が「腑(ふ)分け」され、それぞれ対応している脳の各部分を「刺激」する、というのだ。


しかし、その時、いつもは傍受?(ぼうじゅ)していない周波数があったりすると、脳のその対応部分は「初めて」刺激され、軽い「拒否反応」を示す、というのだ。


ひどい症状の場合は「吐き気」すら催(もよお)すと言う。


心あたりがある。

 

私のCDの第4集の「ノイズ.ミュージック」を初めて聴いたバンドマンが、急に頭痛がして店から飛び出して行って戻って来なかった。


彼の狭い音楽性には刺激が強すぎたのだろう。


彼はフュージョンバンド「カシオペア」に憧れたが演歌の仕事ばかりのエレキ.ベース弾きだった。

もう、14年ほども前の話しだ。


私は、彼の反応を見て「ああ、あれは本当の話しのようだ」と実験の結果に満足した。


私には「快感」以外の何物でもなかったからだ。


立花氏の話しを聞いてから私は、音楽を聴くための二つ技を編み出した。


その一つが、「餌付(えづ)け」という聴き方である。


今現在は感覚になく、まだ「拒否反応」を示すような「未知のもの」に対して一日にほんのわずかな時間触れるのである。

 

これは、「感覚を広げる」という「行(ぎょう)」である。

 

未来に必要な「感覚」を所有するための鑑賞法である。


何でも聴くべき、というわけではない。

 

(私は、判断のためにありとあらゆる素人の変態音楽を聴いた。本物の「感覚」もあれば偽物の「そのつもり」もあった。これも荒行であった。大体、輸入版である。)

 

「上質」と言われているものに限る。

 

(やがて自分でも判断できるようになる。ただし音楽的霊感を鍛える必要がある。リストの音楽を聴き込んでいけばついてくる。音楽的霊感を鍛えるにはろうそく一本で毎夜過ごして見る事である。もちろん音楽を聴きながら、である。当然、酒は入る。これも「左脳」を殺すためである。)

 

この「餌付(えづ)け」は、これは上質なはずだが、まだ現在のレベルでは理解不可能だな、と思えるものに対して行なうのである。

 

いずれにせよ20才過ぎて「新しい感性」を手に入れるのは至難の技である。


そうでない、と言う者は人生を舐め過ぎている。


20才過ぎて理想的な学び手でない者は生涯、楽器は上達しない。

 

先の事はわからない、と言う大人がいるが、先の事が必ずわかる人種が大半である。


先の事がわからないタイプと言うのは人生に「バグ(ウイルス)」が注入されているタイプである。

 

何の「バグ」もないレールに乗った人生や、天性の頭の悪さですぐれた教師の言う通りできない者の人生は50年会わなくとも容易に予測はつく。

 

私のようなジャンルの音楽教室に携(たずさ)わっている者は、明日の「スター」に憧れる、末端の若者が次から次へとやって来ては挫折し去って行く、という日常に日々接している。


基本的に、哀れなほど未成熟なのである。

 

何でこんなにも阿呆に育ってしまったのか、はたまた才能の欠片(かけら)もない、口から先に生まれてしまったのか、と哀れなほどである。


良い人生を送った者はよいが、確実に「夢」が挫折し、後悔の日々とともにバカ子供をつくり、さらなる苦労を背負う者がいる。

この「業(ごう)」は「解脱(げだつ)」できないものか。


世の中に二人といてはならない人間になってどうするのか?


自分という人間だけの人生では「成功者」であっても生きているかぎり「孫の代」まで見てみなくては人生の「成功者」とは言えない。

名門の一族が孫により一家惨殺(ざんさつ)という事件もある。


一応、他人の事はどうでもよいと思う私の代で気づく事は列挙し以後は関知しない。


還暦になった頃に思い出して自分の人生を振り返って見ればよい。


音楽をやっているからと言っても別に阿呆のファンの数を重ねてもしょうがない。


楽器下手の若者のエネルギー.ミュージックは、すでに10年以上も前に一応「餌付け」していたのでさほど拒否反応は示さない。

 

そうした種類の音楽は、私の中では「エネルギー.ミュージック」と言うジャンルに入りただただどれだけ「狂気」を演じられたか、音の大きさは何フォンあるか、と言った基準しかない。


単に、哲学上の問題で拒否しているにすぎないものもある。


「これはほとんど盗作だな」もその一つである。


作曲家、と言わなければよい。


替え歌師」という職業に市民権を与えればよい。


替え歌師は、何もお笑いだけではない。


黙って知らんぷりしているが、どうみても替え歌師であって作曲家ではない、という者はたくさんいる。

 

しかし、そうした音楽も聴覚上は別段どうという事もない。

 

哲学上「認めない」と言うのは、「いつでも誰でも今日からでもすぐにできる類(たぐい)の音楽」である、ということだ。


そこに「芸」を見ず、最低級の価値を置いている、というだけである。

 

次代の若者が生まれて初めて楽器を手にしても、「夏休み中」には完成を見る程度の「芸」であろう。


いずれにせよ「餌付け」は、未来のための感覚の修行である。

 

修行事に興味がない、生来の軽さを気取る「人生の達人ごっこ」の者の音楽にはこちらも興味がない。


所詮(しょせん)、盗人芸であるか、官僚芸である。


そうした模倣偽物(にせもの)芸より、もっと本物のミュージシャンを聴くべきである。


しかしまあ、基本的には「修行は楽しい」と思えない者は何をしてもダメである。


私はこの「餌付け」で、あらゆる人気のあるマンガや良質な音楽を克服してきた。


マンガ喫茶道を歩む者にとっては、読めない良質マンガがあってはならないからである。


シリーズとして長いマンガには何かしらの「感覚」が存在しているはずである。


当然、”模倣偽物 ”マンガは読まない。


どっかで見た事のあるヒ-ロ-にヒロインである。


優柔不断キャラに謎の不良美少女キャラ、といった定番などだ。

 

様々な「感覚」を所有するにはこうした「修行」がマンガ喫茶であっても行えるのである。


これを怠る者の感覚など三年も経てばすぐに古くなる。

 

元(もと)より、好き嫌いの類では読んでいない。


私は嫌いなものも人一倍多いが、その何億倍も好きなものが存在するのである。


これはすべてこの「餌付(えづ)け」のおかげである。

 

当然、音楽を聴いて「これはいい!」と思えば、即、次の「仕込み」の段階に入ってよい。

 

「餌付け」は、あくまでも、「え~、これのどこがいいの~」という拒否反応しか生まれない「良質」とされる音楽に対しての作業である。

 

子供が大人になるのは「餌付け」の連続でしかない。


「餌付け」のない子は、いつまでも洟(はな)をたらしてバカ騒ぎばかりで何の役にも立たない。

 

「餌付け」は、人間が、進化するための「種」を播(ま)く事なのである。


*「仕込み」:感覚を所有する。

 

さてこの「餌付け」の次に来るのが「仕込み」である。

この「仕込み」は簡単だ。


「餌付け」によって、さほど拒否反応も示さず、むしろ段々好きになってきた、と思われる物を毎日何度も浴びるように聴き続けるのだ。


大体、3ヶ月ほど、毎日朝から晩まで、はたまた睡眠中であっても聴き続けるのだ。


こうした日々によって、早い者で1年後、遅くとも3年後にはその「感覚」が自分のものとなって突然現れるのだ。


とにかく、毎日、飽きずにどれくらい浸(ひた)れるかに未来の「感覚」はかかっている。


あなたの今現在の「感覚」は大体、5年前の「餌付け」と3年前の「仕込み」のおかげである。


私は、かつて、「そこはサンタナ風に弾いてくれ」と指示を出すバンマスに会った。


「新しいことをやろう」と言うのである。


大体、他の楽器に興味がない管楽器奏者に多い注文である。


サンタナのギターのどこが新しいのか?


このバンマスが最後にCDを買ったのは10年も前の事だった。


当時はジョン.スコフィールドがマイルスに見い出された頃であった。

 

以上が私が26才の頃編み出した音楽鑑賞法、「餌付け」と「仕込み」である。


二つは「ヘドバとダビデ」のようなものだ。


『ヘブライ系男女二人組「ヘドバとダビデ」がヘブライ語の「ナオミの夢」と言う唄を日本語バージョンでも唄いヒットさせた。子供の頃に見た「世界歌謡祭第1回?」で優勝したのだ。

ついでに言うと「ナオミ」と言うのは聖書に出てくる女性の名で日本人の名ではない。


ヘブライ系の信心深い信者の女性の「名前」である。それにあやかって西洋人は付けている、という。』

 

まったく!関係ない話しをしている。


では、これから生まれて初めて「ジャズ」に接した者のために様々な必聴ミュージシャンのリストを簡単に紹介して掲載する。


冒頭でも述べた通り、私が、わざわざジャズの普及のための活動をする理由はどこにもない。すべて私の独断である。


また、これくらい知らなくては今後の音楽の動向もわからないはずである。


これは、全くジャズを知らない者が次第に「音楽」の何たるかを理解していくようにリストアップしている。

 

順不同である。

 

思い付くままに並べたに過ぎない。

 

伝統的な要素も組み入れている。

 

このリストを辿(たど)る事によって音楽とは何か、という事が見えて来る。

 

色々思案した結果このリストはプレーヤーのためではなくリスナーのためとした。


別にお勉強ではない。


こうしたものでも楽しいものはある、というリストである。


つまり「幸せのリスト」である。

 

当然、プレーヤー志望の者はこれくらいは知っておかねばならない。

 

また、「私、ピアノが好き」と言う者が生れながらに多数いるであろうから私に関係づけられるようにギタリストを最初に紹介している。

 

実際の私はギタリストはほとんど聴かない。


過去には何百と言うギタリストを聴いている。


加えて、あまり日本のミュージシャンには触れないようにした。

 

ほとんど現状チェック程度にしか聴いていないからであり、また何か言ってもこちらのメリットはない。

 

しかし、これは、と言う者は少し触れているかもしれない。

これは、「ジャズ」の初心者のための「最高のリスナーとなるためのリスト」である。


現存するいかなる入門書をも凌駕(りょうが)する物である。


なぜなら、これはある概念(コンセプト)の種類によって選別されているからである。

 

同じ概念の、その比較的根源となる「祖」を紹介しているからである。

 

本来ならそれぞれが、別々のリスナー派閥を形成して存在しているからである。

 

気に入れば、同じミュージシャンを開拓すればよし、気に入らなければ、その一枚のCDを「餌付け」して見ればよい。

 

これを拒否しては未来への「感覚」を手に入れる事は困難であるからだ。

 

もし、あなたがクリエーターなら克服すべき感覚の「引き出し」である。

 

クリエーターには、拒否反応は許されない。

 

何があなたを助けてくれる「感覚」であるかはわからない。

 

所有して損はない「感覚」ばかりである。

 

あなたが一般のリスナーならば、次のミュージシャンへと開拓していけばよい。

 

しかし、ここに上げたミュージシャンを知る事で初心の者でもリスナーとして、ある「高み」に到達する事になる。


要するに音楽が「見えてくる」のだ。


もしも一つでもダメだ、と思うものがあれば「餌付け」によって克服されたし。

 

克服するだけの価値はあるものばかりである。


良質な物は、どれも「歯ごたえ」がある。

 

そして生涯、愛する事ができるであろう。

 

あなたは愛すべき「財産」が増える事になる。

 

最高で最強の聴き手となって下さい。

 

音楽は「印象批評」で十分です。

 

そこから自分という人間がどう反応するのか、を楽しめばよい、という事だ。

 

音楽は自分の人生を豊かにするためにある。


知識をひけらかすための道具ではない。


まがい物に感動するから毎日が退屈なのだ。

 

本物はいつでも自分の世界に引きづり込んでくる。


ちょっとした「竜宮城」に招待された気分を味わえるはずである。


わからないものがわかるようになる」これが基本である。

 

2001年、9月25日(火)

 

カテゴリ:リスナー道 

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